嗜好のごみ箱

地球船宇宙号

そもそも心理学ってどんな学問?

こんにちは

 

ななしです。

 

心理学を学習していると明言すると、必ずといっていいほど言われることがある。

 

「じゃあ私が今なに考えているか当ててみて」「おれの心、お前に筒抜けじゃん」

「あそこ歩いている人の気持ち教えてよ」

「俺に彼女ができない理由を教えてくれ、、」

 

もちろん、心理学はそんなに万能ではない。

 

短くない歴史の箱をひっくり返せば、嘘発見器や性格検査など人のこころに肉薄しているように見えるものが沢山ある。

 

ただ、人の気持ちが手に取るように分かればなにも苦労はしないし、分かったら分かったでさぞつまらない人生だろう。

 

メンタリストのDaiGoやダレンブラウンのようにはいかない。

 

しかし、心理学を学んでいれば人の気持ちを掌握できると勘違いしてしまうことこそ、心理学の研究領域と言える。

 

 

ここで僕の結論を言うと、

 

心理学とは

目に見えること、ものから

目に見えないヒトのこころを科学的に推測する学問である

 

どういうことか。

人のこころは肉眼には見えない。顕微鏡を使おうとも望遠鏡を使おうとも見えない。

 

存在しているかも曖昧で、国や文化、往々にして個人によってもその定義はあやふや。

 

そこで心理学では目に見えないもの、

例えば

うつ病のなりやすさ

パーソナリティ

記憶力

仮説的構成概念と呼ぶ。

 

そして、直接観察することのできる

行動(ex書く)や行動の結果(ex文章の内容)を頼りに推論する。

 

ここで注意すべきなのが、得られたデータから推論するときに、

恣意的な判断をするわけではなく、

推測統計学を使うということだ。

 

余談だが、心理学部に入った学生が一番苦しむのが統計の勉強だ。

人の心こころ学ぶのに、数学が必要になるなど露ほども思わなんだ。

 

それはさておき

最近では、心理学の教科者には必ず載っているような有名な実験の再現性が疑われている。

スタンフォード監獄実験なんかが一番有名だろう。

 

いつどこで誰がやっても同じ結果が得られるというのが科学研究では重要で、このように違う結果ぎ得られてしまうと信頼性はガタ落ちだ。

 

ただ、物理学や化学のように気圧や温度などの条件を操作できる自然科学とは違う。

心理学では性別や年齢だけでなく、時代やその日の天候、実験者の気分など目に見えない変数が無数に存在する。

これらは剰余変数という。

 

操作する変数やそれによって得られる結果にだけ注目するのではなく、あらゆることが繋がりあっていることを忘れてはならない。

まるで仏教の縁起の考え方。

 

心理学を学ぶときは、

その科学的な限界と

自分の人生を豊かにする可能性とを念頭に取り組んでいただきたい。

 

今日も今日とて心理学。

ななし

ゴミ箱というのは不思議だ。
まず、これから捨てようとしているものに対して、頭を悩ませなければならない。
材料、目的、用途、代替、可能性、いろいろと悩みぬいた挙句に捨てるのだ。
しかも、捨てたとたんに忘れることができるが、捨てたということはなぜか覚えている。
それは、捨てなきゃよかったの未練も、きっぱり忘れようの諦観も同時に内包する。
捨てられたものは多くを語る。ごみだったものはたからになり、たからだったものはごみになる。
臭ければ蓋をすればいいし、見たくなければ黒い袋で覆えばいい。捨てる神も拾う神もいるのだから。
酸いも甘いも嚙み分けて、辛いも苦いも味わって、やっとうまみに気づくのが人生の醍醐味だと云わんばかり。
今はごみかもしれないけれど、いつかたからになるかもしれない。
だから僕は喜んで、君たちをここに捨てていこう。