嗜好のごみ箱

地球船宇宙号

サイゼリアの間違い探しはなぜ人気なの?

三度の飯より心理学。

どうもナナシです。

 

老若男女問わず人気のイタリアンレストラン、サイゼリア

安価なメニューで味もいい、当然のように平日のお昼時には制服を着た高校生が行列をなしていることもしばしばだ。

おまえら、学校はどうした。

 

それはさておき、最近のサイゼリアではミラノ風ドリアでもアーリオ・オーリオでもなく、別のものがネット上で話題になっている。

 

そう、キッズメニューの表紙に描かれている間違い探し。

 

見開きで左右のページにかわいらしい絵がそれぞれ載っていて、間違いの数がぜんぶで10個となかなかボリューミー。

にもかかわらず、気づいたらついついやっていてしまっていたり、子供向けとは思えない難易度に意固地になって昼飯だけでなく夕飯も食べていく羽目になったりと、その中毒性は経験した人ならうなずいてくれるだろう。

しかし、なぜあのような単純な遊びが話題を呼んだのか?

なぜ無意識にのめりこんでしまうのか?

心理学の概念を利用しつつ、生活の肥やしにできるよう

個人的に考察していく。

活性化エネルギーが小さい

まず一つ言えるのは、あのクイズが一見簡単に見えるということだ。

 

人は与えられた問題や課題がじぶんの実力や状況とあまりにもかけ離れていると、そもそも行動を起こそうとも思わない。

 

あさ、布団から出るのが億劫になるのも、眠りから覚めたばかりの脳には起き上がるという行為ですら相当なエネルギーを要するからだ。

 

だから、まずは目を開ける、次に手や足を握ったり開いたりする。それから足先を布団から出す。そして布団から全身を出し立ち上がる。といった具合にハードルの低い行動から階段を上るように目標に近づくようにすれば、自ら望んだ行動ができる。

 

サイゼリアの間違い探しも、子供用に作られたという先入観からおそらく簡単であろうと挑戦する。実際、最初の5,6つはすぐに見つかるし、時間をかければ8,9つはだれでも見つけることができるだろう。

 

これは化学における活性化エネルギーの考え方によく似ているので、ぼくは勝手に心的活性化エネルギーなんて呼んでいる(中二病臭い)。

 

化学における活性化エネルギーとは、反応物が基底状態から遷移状態に励起するために必要なエネルギーのこと。

 

難しいかもしれないが、要するに反応物が行動前の自分で、反応物が行動を起こす自分。この行動を起こすために必要な状態になるために必要なのが、活性化エネルギー。

 

日常生活でも使われる触媒は、この活性化エネルギーを下げる効果のある物質を指す。

サイゼリアロミオとジュリエット

次に考えられるのは、最後の間違いを見つけ出すのがかなりむずかしいということ。

いざ間違いを探しはじめたはいいが、なかなか10個すべてが見つからない。

泣く泣くネットで答えをカンニングしてみると、まるで視力検査のような場所にあったりする。

こんなのわかるわけないだろ……。

これは社会心理学でいうところのロミオとジュリエット効果に似ている。

親の反対などの障壁が恋愛感情をより加速させるというものだ。

これは人間関係、ことに恋愛について使われる用語だが、対象もしくは目標をパートナーとしてみても成り立つ。

障壁が高ければ高いほど燃えるということだ。

 

しかし、初めから難しいのではやる気は起きない。

 

ロミオとジュリエットも舞踏会でひとめぼれ。しかし、キャピレット家とモンタギュー家の古くからの怨恨(ancient arudge)がふたりの邪魔をする。そんな障害が二人の関係をより強固にし逢瀬を重ねる。さいごは悲劇のバットエンド…

 

初めは簡単に、そして徐々に難しく。

 

これをうまく利用しているのがゲームだ。

 

スマホにしろ据え置きにしろ、ゲームは人に長くプレイしてもらうためにあらゆる工夫がなされている。

ポケモンしかりスーパーマリオしかり、はじめのステージの難易度はかなりやさしめに設定してありグラフィックも目を引く。そのため始めるためのエネルギーが少なくてすむ。そしていくつかのステージをクリアすることで達成感(報酬系)が刺激される。さらに難しいステージでは、何度も失敗しながらもここまでやったのだからさいごまでやり通すという気持ちが起きる。特にマリオでは、そのゲーム性ゆえに成功よりも失敗のほうがおおくなるよう設定されている。

 

当たり前なようだが、これは何かを達成しようという人は忘れてはならないことだろう。

いきなり大事をなそうとしてはいけない。

成功できない人間は、成功者の積み上げた努力を想像できないから成功できないのだ、とぼくの好きなアニメのキャラクターもいっていたことだ。

ツァイガルニク効果

最後に考えられるのが、難しすぎて途中でやめた場合、その記憶は頭に残りやすいということだ。

これをツァイガルニク効果という。

旧ソ連の女性心理学者、ブルーマ・ツァイガルニクが実験を行い、完了された課題よりも中断された課題のほうが思い出しやすいという結果を実証したので、彼女の名前をとった効果が提唱された。

この現象は日常生活でもよく見られる。

例えば、テレビドラマ。

毎回のごとく終盤になるとトラブルがおきて後味の悪いまま、このままではどうなってしまうの、次回へ続く!となる。

いわゆるクリフハンガーといわれる手法で、まさに興味を宙ぶらりにされた状態で放置されるのだ。(けっしてSASUKEの種目じゃないよ)

逆にこの傾向を利用して自分の生活をコントロールすることもできる。

例えば、勉強や読書はキリのいいところでやめない。

時間に追われる現代日本において、一冊600ページもある分厚い参考書みたいな本を一度に読み通すのは無理だろう。

かといって何週間にも分割して読んでいると、内容の流れを終えなくなって途中で断念してしまう。そして、読むのをやめてしまった記憶だけがひとりあるきしていく。

こんな負のサイクルを防ぐために、ドラマのクリフハンガーのように、興味のある面白そうなところであえて本を閉じてみる。

そうすることで続きが気になり、本を開くための心的活性化エネルギーが小さくて済む。

ほかにはこんな例もある。

自分の悩みを文章におこしてみる、というやつだ。

関係ないだろと思われるかもしれないが、悩みや不安というのはたいてい今すぐどうにかできないものに対して抱く漠然とした恐怖のこと。

その曖昧模糊とした問題を書き出してあげることで、頭の中で宙ぶらりになっていた不安が仮の形だが完了される。

脳にとっては終わったこととして認知されるので、不安が緩和されるのだ。

ほかにも、自分の夢を人に言わない、というのもある。

これはどういうことかというと、自分の夢というのは、理想の自分ということもできる。そこに至るためには現実の自分とのギャップを認め、努力しなければならない。

しかし、自分の夢を他人に話すことで、脳ではそれが達成されたことだと考える。もう完成されたことであり、忘れてもいいのだと考える。

そのため努力を怠りプライドだけが増大していく。

なんとも耳が痛い話だ。

だいぶと脱線してしまったが、このツァイガルニク効果がいかに僕たちの生活と密接にかかわっているかがわかるだろう。

今回のことから得られる教訓

サイゼリアの間違い探しからいろいろと枝葉を伸ばし考えてきたが、そこから得られる教訓は次のようなものだろう。

 

初めはやさしく、徐々にむずかしく。

障害があるほど燃える。

続けるためにあえて途中でやめる。

 

読んでくれている人がいることを願って

今日も今日とて心理学。

ありがとうございました

ゴミ箱というのは不思議だ。
まず、これから捨てようとしているものに対して、頭を悩ませなければならない。
材料、目的、用途、代替、可能性、いろいろと悩みぬいた挙句に捨てるのだ。
しかも、捨てたとたんに忘れることができるが、捨てたということはなぜか覚えている。
それは、捨てなきゃよかったの未練も、きっぱり忘れようの諦観も同時に内包する。
捨てられたものは多くを語る。ごみだったものはたからになり、たからだったものはごみになる。
臭ければ蓋をすればいいし、見たくなければ黒い袋で覆えばいい。捨てる神も拾う神もいるのだから。
酸いも甘いも嚙み分けて、辛いも苦いも味わって、やっとうまみに気づくのが人生の醍醐味だと云わんばかり。
今はごみかもしれないけれど、いつかたからになるかもしれない。
だから僕は喜んで、君たちをここに捨てていこう。