嗜好のごみ箱

地球船宇宙号

"英語で勉強"のイミ

こんにちは

 

ななしです。

 

今日は語学学習について考えるわけだけど御多分に漏れず着地点の見えない見切り発車だ。

 

日本人の中で英語の勉強が好きだという人間がどれくらいいるだろうか?

英語に限らず勉強は嫌いだという人が大半だと思うけれど、なかでも英語に苦手意識を持っている人は結構多い。

 

同じ嫌われ者の数学と比べ、学びたいという動機を持ちやすいのにも関わらず、何故か英語のできない人が多い。

 

もちろん日本の学校教育にも問題があるのだが、個人でできることの範囲ではないから今日は別の切り口で話そうと思う。

 

英語ができない理由、

それはずばり知識が足りていないから。

 

そんなの元も子もないだろ!とツッコミを受けるのは百も承知だが、そう思った出来事があったのだから仕方ない。

 

どういうことか、僕の実体験を通して説明する。

 

僕の趣味はクイズだ。

いま巷では空前のクイズブームで、僕も毎日のようにクイズノックの動画やアプリでオンライン対戦をしている。

 

そんなクイズ好きな僕は時たまではあるけれど、海外のクイズ番組をYouTubeで観る。

お気に入りは

イギリスの国営放送BBCがやってるUniversity challengeとアメリカ版高校生クイズ High school quiz showだ。

 

このあいだ、何も考えずにつれづれなるままにUniversity challengeをみていると、ひとつ気づいたことがあったのだ。

 

それは答えが分かるか予想できそうな問いは、問題文が理解できるが、自分の明るくないジャンルだとそもそも何が聞かれているかすら理解できないということだ。

 

これはとても不思議な経験だった。なにせ、クイズというのは何が問われているか理解し、そこから数多ある情報を取捨選択するものだと思っていたからだ。

 

おそらく、人間にクイズで勝った人工知能ワトソンはこの方式を採用しているのだろう。問題文に使われる単語やパターンを解析し、情報の海から最適解を確率的に割り出す。

 

しかし、僕らはワトソンの同じ方略をとるわけにはいかない。

というか絶対に無理。

 

そんなわけで、この経験から僕はひとつの結論に辿り着いた。

 

それは

 

日本語で知らないことは英語でも分からない。

 

当たり前だろと思うかもしれないけれど、英語に限らず語学を習得しようと思う段になると重要なことかもしれない。

 

大抵、英語を学ぶときは英語の単語や文法をひたすら詰め込む。だってその人の動機ときたら英語を話せるようになりたいなんて漠然としたものなのだから。

 

それではいつまでたっても上達しない。

 

言語はあくまで情報を取得したり共有するための道具であって、それ自体にあまり意味はない。

 

トンカチを買いに行って押入れに入れっぱなしにしてもお金の無駄だ。

柄を握りしめて釘を打たなきゃトンカチに存在意義はない。

 

まずは自分の知っていることを増やし、英語と並行して学習する。

 

ただそれだけでは、自分の世界から出られない。なので自分や世界が直面する問題やニュースを同時に学び、自分の得意分野と両側から掘り進めていく。

そんな砂場遊びみたいな勉強法が求められているのかもしれない。

 

今日も今日とて心理学。

 

 

 

 

ゴミ箱というのは不思議だ。
まず、これから捨てようとしているものに対して、頭を悩ませなければならない。
材料、目的、用途、代替、可能性、いろいろと悩みぬいた挙句に捨てるのだ。
しかも、捨てたとたんに忘れることができるが、捨てたということはなぜか覚えている。
それは、捨てなきゃよかったの未練も、きっぱり忘れようの諦観も同時に内包する。
捨てられたものは多くを語る。ごみだったものはたからになり、たからだったものはごみになる。
臭ければ蓋をすればいいし、見たくなければ黒い袋で覆えばいい。捨てる神も拾う神もいるのだから。
酸いも甘いも嚙み分けて、辛いも苦いも味わって、やっとうまみに気づくのが人生の醍醐味だと云わんばかり。
今はごみかもしれないけれど、いつかたからになるかもしれない。
だから僕は喜んで、君たちをここに捨てていこう。