嗜好のごみ箱

地球船宇宙号

5時まで15分

こんにちは

 

ななしです

 

僕たちは毎日のように言葉を話す。

 

誰かを褒めるために

誰かを貶すために

誰かに愛を伝えるために

 

口から出るものもあれば、こころの中で自分に語りかけたり考えたりするために使うものがある。

そして、国や文化、世代、地域によって使っている言語が違う

 

もし日常生活から切り離せない言語というものが僕たちの思考をつくりあげているとしたらどうだろう。

 

今日はそんなお話。

 

例えば、4:45のことをあなたはなんていうだろうか。

もちろん、そのまま4時45分だと表現するかもしれないし、あるいは5時15分前くらいなんてこともあるかもしれない。

 

英語では5時15分前なんて後ろ向きな言い方はしない。

あるとすれば、quarter to five(5時まで15分)という表現がある。

 

日本人はアメリカ人に比べ時間に厳しい。これは5時という未来の時間からみて今がどれくらい過去にあるかに基準を設ける時間感覚のせいかもしれない。

 

他にも、日本人は弟と兄、妹と姉を区別するが英語では両者とも一語に含まれる。

中国から渡来した当時最新文化である儒教の思想が色濃く残る日本ならではの言い回しなのだろう。

 

僕が個人的に面白いと思ったのが、パピヨン

フランス語で蛾や蝶という意味だ。

あの可愛らしい小型犬は耳が蝶の羽のように見えるからこの名前が付けられているのだが、御察しの通り、日本では蛾と蝶は区別する。

蛾は気味悪がられたり、月と勘違いして電灯に魅せられた哀れな昆虫として見られる傍らで、蝶はひらひらと美しくその翅を羽ばたかせる。

しかし、生態や構造で彼等を生物学的に分類するのは意外にも難しい。当然、日常生活で一緒くたにしてもなんら問題はない。しかし、日本では分けて、フランスで同じにする。

 

このことが思考にどう影響を与えるかは分からないが、内言であれ外言であれ僕たちは言葉で思考し、言葉でコミュニケーションを取る。

 

現象の全てを把握するのではなく、いらない部分は捨てて、必要な部分だけを抜き出す。

言葉には世界を骨抜きにする。

だからこそその方法にはその人の、あるいは文化の歴史や癖が出る。

 

海外旅行に行って現地の人が世界をどんな風に見ているかを言葉から知ろうとするのは案外面白いかもしれない。

もし、彼らが何を言っているのかが理解できるのであればだが。

 

 

ゴミ箱というのは不思議だ。
まず、これから捨てようとしているものに対して、頭を悩ませなければならない。
材料、目的、用途、代替、可能性、いろいろと悩みぬいた挙句に捨てるのだ。
しかも、捨てたとたんに忘れることができるが、捨てたということはなぜか覚えている。
それは、捨てなきゃよかったの未練も、きっぱり忘れようの諦観も同時に内包する。
捨てられたものは多くを語る。ごみだったものはたからになり、たからだったものはごみになる。
臭ければ蓋をすればいいし、見たくなければ黒い袋で覆えばいい。捨てる神も拾う神もいるのだから。
酸いも甘いも嚙み分けて、辛いも苦いも味わって、やっとうまみに気づくのが人生の醍醐味だと云わんばかり。
今はごみかもしれないけれど、いつかたからになるかもしれない。
だから僕は喜んで、君たちをここに捨てていこう。